4月17日から始まった映画館大賞2010特集上映、初日の作品は第1位に輝いた『グラン・トリノ』。
上映に先立ち、『接吻』の万田邦敏監督と批評家でboid主宰の樋口泰人さんによるトークショーを行いました。
テーマは「イーストウッド映画におけるイーストウッドと女性の関係の変化」。
イーストウッド映画に造詣が深い二人が語る、“女たらし”としてのクリント・イーストウッド論とは?


樋口 今回、映画館大賞で1位になった『グラン・トリノ』について話してほしいと言われて、どなたに(対談相手を)お願いしようかと考えた時に、あの『接吻』を撮った万田監督が、最近のクリント・イーストウッドについてどんなことを考えているんだろう?ということが頭をよぎったんです。それで万田さんに連絡したところ、「イーストウッドの映画におけるイーストウッドと女性の関係の変化の話をしたい」という返事が来まして。

万田 イーストウッドというのは、まあ本人もお盛んなようですけど、出る映画出る映画で相手の女性とベッドインしていて、ケーリー・グラントは女性の唇の警戒を解くと言われていたそうですが、どうやらイーストウッドはスカートのホックの警戒を解くらしい。でもある時期から、本人も反省したのか知りませんが、女性への接し方が変わってきているんですね。ある時は死んでしまった女性の弔いのために何かをしたり、あるいは父親のような接し方をするようになってきた。『グラン・トリノ』では高校生の女の子が出てきますが、さすがに彼女には手を出さないし、それどころか若い者同士を結びつけるようになる。

そこで問題になってくるのが、タイトルにもなっているグラン・トリノの車です。これはおそらくイーストウッドがちょっかいを出してきた女の人たちの象徴なのかなと。年代物だけど今でも輝きを放っている車ということで、ウォルト(イーストウッド演じる主人公の役名)のある種の分身として出てくるのかと思えば、そうではない。確か、映画の中でキーを差し込んで車が走り出す瞬間、「さあ走るぞ」というような描写はなかったですよね。今回、グラン・トリノは愛でる対象であって、手は出さないんです。自分は手を出さずに、別の若い男の子に運転させる。それを見て、女性に関しては引退しましたという表明なのかなと思ったりしました。

樋口 今の話で思い出しましたけど、ブルースやフォークソングでは、ギターなどを女性に喩えている歌がいっぱいありますよね。そういう捉え方に近い?

万田 そういった歌の場合、下心というか生々しい気持ちがあると思うんですけど、イーストウッドの場合はもうちょっと枯れた感じがします。どのあたりからそうなったのかと考えると、一番特徴的なのは『トゥルー・クライム』(98年)なんですよ。(イーストウッド演じる落ちぶれた)新聞記者が24時間後に死刑執行される無実の黒人の取材をする中で起死回生していく話で、もともと部下の若い女の子が受け持っていた取材をイーストウッドが引き継いでいく。映画の冒頭で、例によってイーストウッドはバーで彼女を口説いて断られるんですが、おそらく断ったがために彼女は交通事故で死んでしまいます。(主人公が取材に没頭していくのは)もちろん冤罪だと確信しているからですけど、もっと大きな理由として死んだ彼女のためにやっている感じがあるんです。この映画を観た時、まずイーストウッドの誘いを女が断ったというのが(僕にとっては)事件で、驚きました。そして、彼女のためにやっていくというのでまた驚いた。

ただ『トゥルー・クライム』のイーストウッドは女性に関して完全に引退したとはいえないので、過渡期の作品ですね。その後、『ミリオンダラー・ベイビー』(04年)では、年齢的にはギリギリ男女の関係になってもおかしくない相手に対して、確実に父親として振舞います。

樋口 お話を聞いていて、(近年の作品におけるイーストウッドと女性の関係には)二つパターンがあるかなと思いました。一つは、今おっしゃったように父親の目線を持ち始めたということ。もう一つは、イーストウッドは女性と一体化し始めたのではないかと。今までつきあってきた女性が、イーストウッドの中に入っていき、イーストウッドとして行動を起こしていくような。

万田 確かに一体化という感じはありますよね。これは個人によって見方が異なるでしょうけど、イーストウッドって、女たらしといってもそんなにいやらしい感じはないんですよ。プレイボーイな感じではない。そこが不思議な存在で。女性への接近の仕方を見ても、独特のものを持っている男優さんだと思います。

樋口 そういう意味では『マディソン郡の橋』(95年)なんかはめちゃくちゃ不思議な映画ですよね。女たらしではあるんだけど、欲望しているのは女性のほうで、イーストウッド本人は自分が何故そういうことをしているのかまったくわからないまま、女性の期待に応えるためだけにやっているように見えました。何ていうのか、イーストウッドの身体がだんだん膨れ上がってきている印象を受けます。

万田 包容力というか。一体化もそうですが、『グラン・トリノ』には疑似家族という要素もありますね。これは女性との関係に限らないですけど、隣に住むモン族の一家と家族のように接していく。『アウトロー』(76年)がおそらくイーストウッドが最初に疑似家族を扱った映画だと思うんですけど、同じように家族喪失者が集まって家族のようなものを作っていく映画の系列として、『ブロンコ・ビリー』(80年)、『センチメンタル・アドベンチャー』(82年)などがあります。

イーストウッドが演じる役柄には、常にものすごく孤独なイメージがあって、常に自分の心の支えになる人を探している。女たらしといっても、プレイボーイ的な女たらしではなく、(女性に)家族的なあたたかさを求めているというか。決して奥さんは求めていない(笑)。

樋口 『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』(86年)や『スペース・カウボーイ』(00年)といった作品も、疑似家族という関係を別の形で描いているふうに見ることもできますね。

万田 イーストウッドの映画に特徴的に出てくる疑似家族については、既にどなたかが書かれていると思うんですけど、誰か女たらし論も書いてくれないですかね。


樋口 それは万田さんが書いてください(笑)。映画の中でやっていただいてもいいですけどね。 先ほどイーストウッドが膨れ上がってきていると言いましたが、僕は『グラン・トリノ』を観て、イーストウッド自体の広がり方が気になったんですよ。描かれているのは小さな町の小さな出来事ですが、それが世界のすべてを背負ったかのような物語に見えてくる。イーストウッドがこれで俳優を辞めるらしいと聞いたこともあって、もう世界が終わっちゃうんじゃないかというショックを受けたんですけど、万田さんはそんなことないですか?

万田 『グラン・トリノ』に関しては、確かに背負っている感はありますね。(冒頭の妻の葬儀シーンで映し出される)教会に立っているイーストウッドの体格、あの肩幅の広さ。(それを見ただけで)この人なら世界を背負えるという感じがします。(礼儀を欠いた孫を見て)「ジーザス」と苦虫をかみつぶしたような顔で言うんですが、「ジーザス」というセリフで始まる映画といえば、『ダーティーハリー』(71年)。キリスト教(の力)がなくなってしまった世界の混沌を描いている作品で、イーストウッドを世界的に有名にした映画です。『グラン・トリノ』の冒頭で「ジーザス」の一言を聞いた瞬間、この人は役者として出演する最後の映画でまた『ダーティーハリー』を演じるのかと驚きました。そしてまだ観ていない方もいるので詳しくは言いませんが、最後で本当に世界を背負うわけです。もうやり過ぎなんじゃないかと思うぐらいの格好をして。『ダーティーハリー』で始まって『ダーティーハリー』で終わるこの映画で、イーストウッドは役者としてのキャリアを閉じるんだと思うと、泣くしかなかったですね。

樋口 自分のキャリアだけじゃなくて、映画そのものも背負っているように見えました。この1、2年で世界の映画をとりまく状況は変わり、3Dの時代が来ていますが、この時期にこの映画が世界中で公開され、映画館大賞を獲る。この時代に、この映画が持つ意味はものすごく大きい。大げさではあるんですけど、そんなふうに考えました。

万田 実際、(ジェームズ・)キャメロンよりは映画を背負っている感じはしますよね。ただ『スペース・カウボーイ』なんかで結構CGを使っているイーストウッドなので、普通に3D映画も撮ったりして(笑)。

樋口 面白そうですね。やってくれないですかね。

万田 3Dみたいなものが出てくると、イーストウッドとゴダールの動向はものすごく気になります。

樋口 101歳の(マノエル・デ・)オリヴィエラがまだ堂々と映画を撮っていることを考えると、80歳なんてまだ20年もありますから。

万田 まあ80でも相当(歳)ですけどね。

樋口 万田さんはイーストウッドの映画を観て、次の自分の映画ではこんな方向に向いていきたいとか思われますか? ちょっとよくわからない質問になってしまいますけど。

万田 今訊かれて気づきましたけど、僕はイーストウッドの映画を観て、こんなふうに撮りたいと思うことはあるんですけど——たとえば「決めの画面」ではなく、あくまでも編集によって、「画面の連鎖」で物語を語っていくとか——このテーマでやってみたい、この話を別の話に置き換えて作りたい、というふうに考えることはないでいすね。そういう意味ではイーストウッドに関しては(純粋に)観て楽しんでいるといえます。

樋口 僕は万田さんの『接吻』を観て、あの映画を男と女に分けるとしたら、主人公の小池栄子さんは男的なるものに反発するでもなく、そこから逃げるでもなく、爽やかに独り立ちしていくという印象を受けたんです。

万田 ああそうですか(笑)。爽やか。うーん……。

樋口 反発と闘争の果ての爽やかさといったらいいか……。ああいう映画を撮ってしまった万田さんから見ると、イーストウッドと女性たちの関わりや、イーストウッド自体が、子供っぽく見えるんじゃないかなと思ったんです。女たらしな部分も含めて。

万田 女性に対する考え方が変わってくる以前の映画は、「男の子映画」に近いものがありますよね。それでも、どこかで「この人は、僕なんかには追いつけない大人なんだな」と感じていました。ただの男の子映画を撮っているわけではないと。子供っぽいという印象はないです。

樋口 確かに『愛のそよ風』を40歳過ぎで撮っちゃうような人ですからね。『グラン・トリノ』にしても、『スペース・カウボーイ』みたいなやんちゃな映画にしても、どこかに『愛のそよ風』としか言えないような何かが漂っていて、それがイーストウッドの映画の魅力なのかなと、最近ようやくわかるようになってきました。今日『グラン・トリノ』をご覧になる方には、そういった意味でも是非昔の作品も観ていただきたいですね。

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80年代に「月刊イメージフォーラム」誌に連載したエッセイや、様々な監督や映画についての批評、講義録、対談などを収録。 発行元「港の人」の紹介ページ

『映画は爆音でささやく99-09』樋口泰人
「インビテーション」「エスクァイア」他の雑誌やパンフレットに寄せた批評のベストセレクションと、批評家・廣瀬純氏との対話を収録。
発行元boidの紹介ページ

樋口さんが主宰するboidによる「爆音上映」と「第3回爆音映画祭」(5/28〜6/12)のHPはこちら