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	<title>映画館主義封切館 | 映画館主義 &#187;</title>
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	<description>全国の映画館主”シネマのソムリエ”と作るウェブマガジン</description>
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		<title>アカデミー賞監督たちが本当に撮りたかった映画。「監督主義プロジェクト」始動！</title>
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		<pubDate>Mon, 20 Sep 2010 19:16:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>editer</dc:creator>
				<category><![CDATA[封切館]]></category>

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		<description><![CDATA[『ブロークバック・マウンテン』のアン・リー、『ノーカントリー』のコーエン兄弟、『アメリカン・ビューティー』のサム・メンデス。
アメリカ映画の３大巨匠による待望の新作が連続公開！]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>この監督の新作なら、無条件に観たい！<br />
独自の世界観で映画ファンを魅了し続ける監督たちにスポットをあてるプロジェクト、その名も「Director's Driven Project（監督主義プロジェクト）」が始動します。<br />
第一弾は、アメリカ映画の核を担うこの３人。<br />
進化し続ける名匠たちの現在をスクリーンで確かめよう！</p>
<p><a href="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2010/09/DDP.jpg"><img src="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2010/09/DDP.jpg" alt="DDP" title="DDP" width="570" height="809" class="aligncenter size-full wp-image-2794" /></a></p>
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		<title>『海角七号　君想う、国境の南』ファン・イーチェン インタビュー</title>
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		<pubDate>Thu, 31 Dec 2009 05:40:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>editer</dc:creator>
				<category><![CDATA[封切館]]></category>

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		<description><![CDATA[台湾最南端の町で、日本統治時代末期と現代のラブストーリーが交差する『海角七号、君想う、国境の南』。台湾で空前の大ヒットを記録したこの映画の魅力を、主演のファン・イーチェンが語る。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/12/01.jpg"><img class="alignleft size-full wp-image-2722" title="#01" src="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/12/01.jpg" alt="#01" width="560" height="373" /></a><br />
<span style="color: #ffffff;"> _______________________________________</span><br />
『ハイジャオ・チーハオ（海角七号）を観ましたか？』という言葉が社会現象になるほどの大ブームを巻き起こした台湾映画史上最大のヒット作『海角七号』がついに日本公開。巨匠エドワード・ヤンの運転手からキャリアを積み上げたという魏徳聖監督と、台湾ポップス界の人気歌手であるファン・イーチェン、台湾を拠点に活動する日本人女優の田中千絵がタッグを組む本作の魅力を来日したファン・イーチェンが語った。</p>
<h5>——６０年前、日本統治時代の男性教師（日本人）と台湾人女性の教え子の恋愛模様と、現代の台湾人男性と日本人女性の恋が同時並行的に展開する本作ですが、魏監督は以下のように語っています。<br />
『映画の主人公（日本人教師）は６０年も気持ちを抑えて手紙を出さなかった。そこが感動的なんです。台湾人だったら書いては出す、書いては出すって感じで、まずありえない。日本の人というのは、きっと色々なことを考えて気持ちを抑えるのでしょう。この手紙を出したら彼女の将来の結婚や生活に迷惑がかかるんじゃないか、この手紙によって僕のやましさを恥じる気持ちが充分に伝わるだろうか、とか。映画の中の日本人もいろんなことを考えすぎて投函できないまま死んでしまい、結局その娘が手紙を出すことになるわけです。これは日本人だったからこそ信じられる話。台湾人だったら、そんなに気持ちを抑えられません（笑）』（劇場用パンフレットより）。<br />
これは、台湾人の間で一般理解として存在している日本人のイメージだと思うのですが、例えば作中の友子（田中千絵）の佇まいは、日本人からすると非常に台湾人的気質を持っている女性という印象なのですが。</h5>
<p><strong>ファン</strong>　なるほど。日本人の観客の場合は友子の怒りっぽいところをもって、そのように感じるのかもしれませんが、実は台湾人の観客の場合には、感情表現や所作以前の話として、彼女が日本人であると強烈に意識させられるポイントがあります。</p>
<h5>——何でしょう？</h5>
<p><strong>ファン</strong>　彼女が口を開く時、つまり彼女が中国語を話した瞬間です。</p>
<h5>——日本人が話す中国語の訛り方をしているということですか？</h5>
<p><strong>ファン</strong>　それは、彼女の中国語が下手だということではなく、人種の違いをどのポイントで理解するかという話についての一つの答えではあるのですが。個人的には、僕は日本人女性には違うイメージを持っていますね。</p>
<h5>——ぜひ、聞かせてください。</h5>
<p><strong>ファン</strong>　日本の女性の特徴は『優しくて、しなやか。それにサービス精神が旺盛』という感じでしょうか。</p>
<h5>——もちろん、実体験ですよね（笑）</h5>
<p><strong>ファン</strong>　いやいや（笑）。残念ながらお付き合いしたことはありません。</p>
<h5>——台湾人の女性に対しては？</h5>
<p><strong>ファン</strong>　賢くて個性的なんだけれども、男性にはなかなかコントロール出来ない（笑）。</p>
<h5>——ちなみに、ファンさんのお母さんはどちらに似ていますか。</h5>
<p><strong>ファン</strong>　どちらかといえば、日本の女性かもしれません。</p>
<h5>——いま伺ったような日本人に対する台湾人のイメージというお話にも関連することなのですが、『海角七号』には“台湾人”という名で語られる様々な属性を持った人物が登場します。客家人のマラサンや魯凱（ルカイ）族だという設定の警察官のローマー、役の上では違いますが、ファンさんご自身も阿美（アミ）族の血をひいてらっしゃるそうですね。作中で描かれるかれらの気質というのは、やはり台湾社会の通俗的なイメージを強調したもの、ということになりますか？</h5>
<p><strong>ファン</strong>　そうですね。一般的な印象をデフォルメしているという側面はあると思います。例えば、客家人の方に対しては「勤勉でコツコツと仕事を頑張る人たち」という印象が持たれていますので、まさに作中のマラサンですね。バンドのオリジナルTシャツを作ってメンバーに配ると、それがマラサンの販売するお酒の宣伝だったりするところなどは、客家人のイメージをコメディ風に強調して、笑わせてくれます。他にも、町議会議長の家で、お酒を飲む時にローマーが酔っ払う場面なども。</p>
<h5>——それはルカイ族の人はお酒が好きだというイメージが一般的だという意味でしょうか。</h5>
<p><strong>ファン</strong>　ルカイ族に限らず、原住民の血をひく人々はお酒が好きだというイメージはありますね。もちろん実際には個々人の違いがあるわけですが。</p>
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		<title>『イエローキッド』真利子哲也監督インタビュー</title>
		<link>http://www.eigakanshugi.com/2660</link>
		<comments>http://www.eigakanshugi.com/2660#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 18 Dec 2009 04:54:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>editer</dc:creator>
				<category><![CDATA[封切館]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[短・中編の旗手として名を馳せる真利子哲也、待望の長編デビュー作『イエローキッド』。既に単発の上映会や映画祭で熱い注目を浴びているこの作品が、このたび全国の独立系映画館のネットワーク“シネマ・シンジケート”の「New Director / New Cinema 2010」に選出され、最も将来が期待される新人監督作品として全国順次公開されることが決まった。その奇想天外な発想はどこから来るのか？　パワフルな演出の秘密とは。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/12/mariko13.jpg"><img src="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/12/mariko13.jpg" alt="mariko1" title="mariko1" width="560" height="338" class="alignleft size-full wp-image-2707" /></a><strong>制作費200万円、撮影期間2週間、メインスタッフの平均年齢26才——。フェイク・ドキュメンタリーを中心とした短・中編映画で国内外の映画祭を席巻してきた真利子哲也がついに長編デビュー、その才能を全国の映画館で見せつける。<br />
東京藝術大学大学院修了制作である初長編『イエローキッド』は、ボクサーを志す青年の日常と、彼をモデルにした漫画の世界が交錯していく様を疾走感たっぷりに、そして恐ろしく的確に描き切った活劇。<br />
既に単発の上映会や映画祭で熱い注目を浴びているこの作品が、このたび全国の独立系映画館のネットワーク“シネマ・シンジケート”の「New Director / New Cinema 2010」に選出され、最も将来が期待される新人監督作品として全国順次公開されることが決まった。<br />
奇想天外な発想はどこから来るのか？　パワフルな演出の秘密は？　低予算の壁をアイデアとモチベーションで乗り越えたという制作過程や、映画作りに対する気負いを真利子哲也監督に聞く。<br />
</strong><br />
【『イエローキッド』あらすじ／認知症の祖母と暮らすボクサー志望の田村（遠藤要）と、別れた恋人に未練を残す漫画家の服部（岩瀬亮）。違う場所で生きてきた二人だが、服部が田村を新作「イエローキッド」の主役のモデルに決めたことから急接近。かつての恋人がボクシングの元チャンピオンと暮らしていることを知った服部は、元チャンプを漫画の敵役にモデルにして憎悪をたぎらせていく。一方、田村も、夢も金も希望もない日々の中で爆発しそうな怒りを抱えていた。そしてある時、服部は田村が自分が描いた漫画の展開通りに行動しているのではと考え始める……】</p>
<h4>『イエローキッド』の物語が生まれるまで</h4>
<h5>――この映画の構想はどのように生まれたのでしょう？</h5>
<p><a href="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/12/yellow51.jpg"><img src="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/12/yellow51.jpg" alt="yellow5" title="yellow5" width="300" height="169" class="alignleft size-full wp-image-2693" /></a>映画の中の現実と非現実が混ざっていくイメージが頭の中にありました。そこから、登場人物を軸とした物語をあてはめていったという感じです。これまでは大まかな構成を決めて、まず映像を撮って、それを見ながら物語を考えるという作り方をしていて、基本的なことなのかもしれませんが、先に物語を決めてから撮影するということに苦労しました。</p>
<h5>――藝大以前の作品は、ドキュメンタリーとフィクションが入り混じるものが多いですが、『イエローキッド』はその延長線上にあるといえますか？</h5>
<p>特にそのつもりはないですが、ちょうど脚本について悩んでいた頃に、僕の過去の作品を一通り上映するイベントがあって、久しぶりに自分の作品を観たんです。一貫したテーマとかは考えずにその時その時に思いついたことを撮ってきたつもりだったけど、まとめて観てみると、自分の気にかけていることは一緒だなと思いましたね。</p>
<h5>――アメコミのモチーフはどこから出てきたのですか？</h5>
<p>現実と非現実を混同してしまう人を描きたくて、でも安易に、仮想世界にハマる人間とかにはしたくなかった。プロデューサーの原（尭志）君と桜木町の珈琲屋でアイデアを練っていた時に、「小学校の頃とかドラゴンボールの真似するヤツいたよね」という話になって、漫画というアイデアが出てきました。日本の漫画は白黒なものが多いし、個人的に大きな話にしたかったので、フルカラーで且つイメージとしてヒーローものが多いアメコミにしようと。それから調べていくうちに、コミックストリップのYellow Kidの存在を知りました。</p>
<h5>――アメコミのキャラクターと同化する主人公をボクサーにしたのは？</h5>
<p>空手などの他の格闘技より、アメコミの世界にマッチすると思いました。劇中のセリフにも出てきますが、ボクシングの本質的な魅力は英雄願望にあるという文献を読んだんです。映像的にも、グローブなどの色のイメージがアメコミと合うと思ったからです。</p>
<h5>――以前からアメコミやボクシングには興味があったのですか？</h5>
<p>別に深くはなかったです（笑）。あくまでフィクションが現実に入り込むという設定に適していたから使っただけで。とはいえ、電線や鉄塔などを出してアメコミっぽい世界観を構築しようとしました。アメコミといえば電磁波のイメージがありますよね？脚本も、ボクシングの底辺からのし上がるというイメージと合わせ、典型的なヒーローもののアメコミのストーリーラインに近づけていこうと意識しました。</p>
<h5>――服部の部屋の壁にある図形はなんですか？ </h5>
<p>あれは複体といって、複数の単体を貼り合わせてできる図形です。今回、僕の中では「単体の複数性」がテーマになっていて、それはリチャード・フェルトン・アウトコールのYellow Kidにあります。元々黄色のインクのテストとして作られたイエローキッドというキャラクターが人気が出てきたことによって、同時に二社の新聞がイエローキッドを同時に掲載したという記事を見ました。権利的なことで、どちらが本物だというような議論が起きたそうですが、キャラクターからすればどっちが嘘で本当もないだろうと。要は物事には絶対的なものは何もなくて、何が本当で何が嘘ということはない、客観的には一つの確定したものなどないから、何が大事で何が本当かは自分で決めればそれでよいのだ、ということを思ったんです。最初、映画のタイトルも『コンプレックス』（complex=複体）にしたいと言っていて、却下されましたけど、それくらいテーマとして考えていました。<br />
<a href="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/12/yellow4.jpg"><img src="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/12/yellow4.jpg" alt="yellow4" title="yellow4" width="250" height="354" class="alignright size-full wp-image-2688" /></a>実際、監督は現場で細々した判断を求められるので、大した違いがない時は、はっきり決めてしまうということにも生きましたし、映画自体も漫画やボクサーや音楽とか様々なジャンルが知恵を出し合ってできあがるので、それぞれが生きる映画にしたいと思い、単体の複数性というのは常に意識していました。</p>
<h5>――映画の中の出来事がどこまで現実だったのか、観客はエンドロール後に出てくる盗撮映像によって知ることになりますが、現実と非現実の境目はどの程度明らかにしようと考えていましたか。脚本には、田村が榎本に襲われた後、自宅で祖母を入浴させるシーンが入っていましたよね？</h5>
<p>入浴シーンは実際に撮影して、最初の学内での上映時は入れていたんですけど、反応がおかしかったので外しました。はっきり見えている田村の首筋の傷が別のものに目がいくみたいで、観た人にはそれまですべて夢だったかのように解釈されてしまったんです。<br />
僕の中ではすべての筋が通してはいるので、どういうふうに観てもらいたいというのはないです。ただ、夢落ちは避けたかったんです。</p>
<h5>――主観と客観といえば、これまでの真利子監督の作品はどれも一人称でした。</h5>
<p>観客として他人の映画を観る場合は気にならないのですが、自分で撮影して自分が出るとなると、カメラは誰の視点なのかということが気になるんです。だからこれまでの作品では、監督である僕＝カメラを動かす人が主人公でなければいけなかった。今回はなぜか意識しなかったのですが、冒頭でわざわざイエローキッドの説明を入れて「これはフィクションです」と宣言しているということは、本当は気にしているのかも。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>『ドント・ルック・バック』『ラスト・ワルツ』10/30〜11/6連続上映</title>
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		<pubDate>Fri, 23 Oct 2009 09:13:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>editer</dc:creator>
				<category><![CDATA[封切館]]></category>

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		<description><![CDATA[23歳のボブ・ディランを追った『ドント・ルック・バック』、スコセッシがザ・バンドの解散コンサートを撮った『ラスト・ワルツ』。時代を映す音楽ドキュメンタリーの金字塔２本が新宿武蔵野館にて連続上映。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/10/dontlook1.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-2590" title="dontlook" src="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/10/dontlook1.jpg" alt="dontlook" width="570" height="433" /></a></p>
<h5><strong>音楽ドキュメンタリーの金字塔<br />
『ドント・ルック・バック』『ラスト・ワルツ』<br />
10/31〜11/6　新宿武蔵野館にて連続上映！</strong></h5>
<p>——ボブ・ディラン、２３歳の軌跡——</p>
<p>１９６５年の春、ボブ・ディラン２３歳―The Times They Are A-Changin’　　<br />
まさに、時代が変わろうとしていた世界の空気を、イギリス・ツアーのボブ・ディランを追うことにより見事に映し出した音楽ドキュメンタリーの金字塔―『ドント・ルック・バック』。<br />
そして、あのマーティン・スコセッシ監督が「ザ・バンド」のラスト・コンサートを撮ることにより捉えたひとつの時代の終焉―『ラスト・ワルツ』。<br />
伝説となった２本の音楽映画が、10月31日（土）～11月6日（金）まで期間限定で劇場公開されます。ぜひこの機会をお見逃しなく！</p>
<h4>『ドント・ルック・バック』　DON’T LOOK BACK</h4>
<p><strong>10月31日～11月3日まで　　連日20：30より</strong></p>
<p>冒頭に流れる世界初のＰＶと言われた「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」の圧倒的なカッコよさ、そこには自信に満ち溢れすでにカリスマ的な魅力を放つ若き日のボブ･ディランがいる。しかし『ドント・ルック・バック』は、単に歌うだけの‘ミュージシャン’ボブ・ディランの姿のみならず、様々なシーンで奮闘する姿までをも追っている。インタビューにやって来た記者たちとの激しい応酬、コンサート直前の学生達との哲学的論争、果てはマネージャーが出演料の交渉をする場面まで・・・。ディランの音楽をめぐるツアー中の出来事と素顔が赤裸々に映し出されている。いまも音楽ビジネスの世界で先頭を走り続けるディランの原点とも言える時代を追った貴重なドキュメンタリー映画、『ドント・ルック・バック』。アレン・ギンズバーグやジョーン･バエズ、アニマルズを脱退したばかりのアラン・プライスら、カルチャー･シーンで多くのフォロワーを生み出し、いまもその作品が世界中の若者たちに波及し続けている人々が数多く登場していることも見逃せない。</p>
<p>監督：D・A・ペネベーカー　　製作：アルバート・グロスマン、ジョン・コート<br />
出演：ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、ドノヴァン、アラン・プライス、ボブ・ニューワース、アレン・ギンズバーグ　　　<br />
1967年／アメリカ映画／白黒／96分<br />
(c) Pennebaker Hegedus Films</p>
<h4>『ラスト・ワルツ』　The Last Waltz</h4>
<p><strong>11月4日～11月6日まで　　連日20：30より</strong></p>
<p>1976年11月25日サンフランシスコ、ウィンターランドで行われた、ザ・バンドの解散コンサートを追った音楽ドキュメンタリー映画『ラスト・ワルツ』。ゲストにはボブ・ディラン、エリック・クラプトン、リンゴ・スター、ヴァン・モリソン、ニール・ヤング、ロン・ウッド、ニール・ダイヤモンド、マディ・ウォーターズらロック史を彩る、錚々たるメンバーが勢ぞろい。フィナーレの出演者全員による「アイ・シャル・ビー・リリースト」の大合唱が圧巻。最新作『ザ・ローリング・ストーンズ　シャイン・ア・ライト』の公開で、<a href="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/10/lastwaltz1.jpg"><img src="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/10/lastwaltz1.jpg" alt="lastwaltz" title="lastwaltz" width="300" height="213" class="alignright size-full wp-image-2596" /></a>改めて音楽映画の巨匠としての力をも見せつけたマーティン･スコセッシ監督が撮った本作は、30年以上の長きにわたり、音楽映画の代名詞となっている。</p>
<p>監督：マーティン・スコセッシ　<br />
出演：ザ・バンド、ボブ・ディラン、ニール・ヤング、エリック・クラプトン、ジョニ・ミッチェル<br />
1978年／アメリカ映画／カラー／117分　　<br />
(c) MGM / Hollywood Classics</p>
<p>新宿武蔵野館URL<a href="http://shinjuku.musashino-k.jp/index.php">http://shinjuku.musashino-k.jp/index.php</a></p>
<p>配給：アダンソニア<br />
配給協力：コミュニティシネマセンター</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>『リミッツ・オブ・コントロール』ジム・ジャームッシュ監督インタビュー「ひらめきは万物の中に」</title>
		<link>http://www.eigakanshugi.com/2217</link>
		<comments>http://www.eigakanshugi.com/2217#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 16 Sep 2009 12:22:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>editer</dc:creator>
				<category><![CDATA[人]]></category>
		<category><![CDATA[封切館]]></category>

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		<description><![CDATA[幻惑に満ちたスペインを彷徨う、名もなき男。制限なしのイマジネーションが炸裂するジャームッシュ最新作は、原点回帰か、それとも新たな到達点か。解釈のヒントがちりばめられたロングインタビューを一挙掲載。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/09/jim19b.jpg"><img class="alignnone size-full wp-image-2288" title="jim19b" src="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/09/jim19b.jpg" alt="jim19b" width="400" height="602" /></a></p>
<p><em><span style="color: #ffffff;">あああ</span></em></p>
<p><strong>「自分こそ偉大だと思う男を墓場に送れ」と依頼主から命じられたコードネーム“孤独な男”。<br />
男は、異郷スペインをさすらいながら、同じくコードネームを持った仲間と暗号を交わし、<br />
現実と幻想の間を彷徨いながら、やがて荒野の中のアジトに辿り着く。<br />
撮影監督にクリストファー・ドイルを迎えたジャームッシュの最新作は、<br />
まさにタイトル通り制限なしの想像力が炸裂する115分のロードムービー。<br />
既に公開されている国では賛否両論のこの話題作の根底に流れるメッセージとは？　<br />
インタビューからひも解いてみたい。</strong></p>
<h4>出発点となった言葉、映画</h4>
<h5>——この映画のタイトルはウィリアム・S・バロウズが70年代に書いた同名エッセイからとったと聞きました。“The Limits of Control”とはどのような意味ですか？</h5>
<p>実はそのエッセイの内容とこの映画は直接関係なくて、“解釈の自由”を示すこのタイトルが気に入った。（このタイトルは）意味がよくわからないよね。自分たちの支配には限界がある、もしくは自分自身の支配には……ということなのかな？　よくわからないけど、何だか良いと思ってね。基本的に映画は（製作者の意図が何にせよ）観る人が自由に理解するものだと思うから。</p>
<h5>——劇中で、ティルダ・スウィントン演じる人物がいくつかの映画のタイトルを繰り返し口にしますが、構想のきっかけになった映画はありますか？</h5>
<p>フランチェスコ･ロージの作品のような70年代、80年代のヨーロッパの犯罪映画が頭にあった。作品を模倣するということではなく、むしろその中にスタイルを見つけるという意味で、アイデアの源となる印象的な作品を思い浮かべていた。ジャック･リヴェットがジョン･ブアマンの傑作『殺しの分け前／ポイント･ブランク』をリメイクしたらどんな感じになるだろう？　あるいは、マルグリット･デュラスがジャン＝ピエール･メルヴィルの『サムライ』をリメイクする感じと言った方がいいかな。一番重要だったのは、おそらく『殺しの分け前／ポイント･ブランク』だ。制作会社も「ポイントブランクフィルム」という名前にした。</p>
<h4>気に入ったもの、人、場所の集大成</h4>
<h5>——主人公には最初からイザック･ド･バンコレを想定されていたのですか？　過去に3回彼と仕事をされていますが（『ナイト・オン・ザ・プラネット』『ゴースト・ドッグ』『コーヒー＆シガレッツ』）、彼には非常に存在感がありますね。</h5>
<p>脚本を書き出したときからイザックを考えていた。というのもここ何年か、彼をある種の人目を忍ぶ任務を負った寡黙で力強い役柄で使って映画を撮りたいという思いがあったんだ。タイトルの件やイザックをそうした役柄で使うという構想に加えて、『リミッツ・オブ・コントロール』は物が集まり始めたことで実現したといえる。この映画のためにいつも色々と集めていたんだよ。</p>
<h5>——それはどのような？</h5>
<p><a href="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/09/jarm5.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-2252" title="jarm5" src="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/09/jarm5.jpg" alt="jarm5" width="300" height="200" /></a>たとえば、ジョー･ストラマーがサン･ホセのアルメリア郊外に家を持っていた。ジョーが亡くなった後、奥さんのルシンダが言ったんだ。「この通りに、人に貸していた変な家があるの。ジョーは車で通りかかるたびに『この家をジムに見せてやらなきゃ。きっと映画で使えるよ』って言ってたわ」ってね。実際にそこをビル・マーレイ演じる人物に遭遇する家として使った。</p>
<p>僕はずっとスペインで映画を撮りたいと思っていた。僕の古い友人で『リミッツ・オブ・コントロール』のカルチャー･アドバイザーでありスパニッシュ･シネマテークの責任者でもあるチェマ･プラードが、マドリードのすばらしい建築物トレース･ブランカスに家を持っているんだ。最初に彼を訪ねて行ったのは、少なくとも20年は前だ。その建築物は1960年代後半に建てられたもので、僕は常々なぜ他の連中がもっとあそこで撮影しないのか不思議に思っていた。今回やっとその中の部屋のひとつで撮影できた。そんなふうに全てのピースをつなぎ合わせていき、セビリアを念頭に置いたとき、スペインで全てが形をなし始めた。</p>
<p>この脚本は最初25ページ分の物語だったものを、制作段階で膨らませていったんだ。最初からそうしようと決めていた。脚本が自然に成長するにまかせて、従来の脚本というものは作らないようにしようと。だから現場では常にアンテナを立てて作業していたし、いつも何かを再検討したり、作品が自然とある方向に向かっていくのに身を任せたりする態勢が整っていた。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>『真夏の夜の夢』中江裕司監督インタビュー「映画館がない地域の人にも届けたい」</title>
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		<pubDate>Tue, 15 Sep 2009 06:04:31 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[シェイクスピア劇を沖縄の小島に移し替えた中江裕司の最新作には、なんと全国版と沖縄版の２通りのタイトルがついている。その理由とは？　映画館のない地域で、自ら映画を上映して回っている監督に聞いた。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/09/manatsu-main1.jpg"><img src="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/09/manatsu-main1.jpg" alt="manatsu-main" title="manatsu-main" width="550" height="380" class="aligncenter size-full wp-image-2178" /></a></p>
<p>いつの世も人々を祝福し、守ってくれる精霊。でも、人々はその存在を忘れようとしている——。<br />
沖縄を除く全国では『真夏の夜の夢』、沖縄では『さんかく山のマジルー』というタイトルで絶賛公開中の中江裕司監督最新作は、シェイクスピア劇を現代の沖縄の小島に置き換えた祝祭劇。都会での恋に破れて故郷の島に戻ってきたヒロイン・ゆり子は、リゾート開発を企む島民の政略結婚騒動に巻き込まれ……。昔からゆり子を守ってきたキジムン（精霊）のマジルーは、彼女を救い出すことができるのか？　果たして島の未来は？<br />
土地に根ざした映画を作り、土地に根ざした上映活動を続けている中江監督が今、伝えたい、届けたい思いとは。</p>
<h4>人間と精霊が当たり前のように共生する場所</h4>
<h5>——シェイクスピアの『真夏の夜の夢』は、アテネの森で、妖精に惚れ薬を塗られた恋人たちが騒動を繰り広げる話ですが、16世紀に書かれたこの戯曲を現代の沖縄の小島に置き換えるにあたって、どんなところが万国共通、あるいは不変だと思われましたか。</h5>
<p>やはり、妖精と人間が共存している様ですね。原作では、それが当たり前のこととして描かれていますが、沖縄でもキジムンを見たことがあるという人はいっぱいいます。<br />
今の世の中って、目に見えないものは存在していないことになっているじゃないですか。僕は、アメリカが悪いと思うんですけど。200年しか歴史のない国が世界を支配しようとするなんておかしいですよ。</p>
<h5>——……アメリカ？</h5>
<p>アメリカ的なものというと……日本中にある巨大ショッピングセンターがいい例です。沖縄にもいっぱいありますよ。ショッピングセンターができて、個人商店や商店街の中の神社といった、土地にもとからあったものは、すべて非合理的なものとして破壊されました。それ以来、人は大事なことを忘れていったような気がします。いや、別にアメリカが……とか考えながらこの映画を作ったわけじゃないし、アメリカ的なものが出てくるわけでもないんだけど。</p>
<h5>——映画では、いかに人々が精霊の存在を忘れているか、そして精霊がいかに人々を守り祝福しているかが描かれていますが、人は精霊が見えていなきゃいけないということでは決してないですよね。</h5>
<p>目に見えないとされているものを、「私には見えています」とアピールしたり、「みんなで見よう」というのは、ちょっと違う気がします。自然というのは、目に見えるもの、見えないもの、合理的なもの、非合理的なもので成立していて、どれも不可欠なんです。</p>
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		<title>『アンナと過ごした４日間』イエジー・スコリモフスキ監督インタビュー「わたしは見る者を誤導したいと思っています」</title>
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		<pubDate>Tue, 08 Sep 2009 12:50:07 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[08年の東京国際映画祭を震撼させた、スコリモフスキ17年ぶりの新作『アンナと過ごした４日間』がついに劇場公開される！　東ヨーロッパを代表する監督でありながら、日本では“幻の巨匠”と呼ばれる氏の、サングラス越しの眼差し。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/09/skolimoa.jpg"><img src="http://www.eigakanshugi.com/wp-content/uploads/2009/09/skolimoa.jpg" alt="skolimoa" title="skolimoa" width="450" height="600" class="aligncenter size-full wp-image-2490" /></a></p>
<h4>峻厳さとユーモアと——</h4>
<p>　ポーランドのどことも知れぬ村を黙々と歩きつづける男。この冒頭から、『アンナと過ごした４日間』には、すでに為体（えたい）の知れない殺気がたちこめ始める。看護士の女性に思いをはせた一人の男。看護婦寮の向かいにある陋屋（ろうおく）から、男は毎晩のように女の姿を望遠鏡で観察している。そんな男の単調な生活のなかに、彼女と運命的な出会いを果たした記憶が悪夢のように去来する。映画はレオンという孤独な男の行動を、昆虫観察のような冷徹な視点でとらえていく。看護婦寮のそばの街灯を投石で破壊する男。祖母の死後、女の砂糖壜のなかに祖母の睡眠薬を混入する男。深夜、睡眠薬入り砂糖を入れたお茶を飲んだところを見とどけ家を出る男。そして、アンナの部屋に侵入する男。</p>
<p>　2008年の東京国際映画祭で『アンナと過ごした４日間』が公開された。すでに公開前から大きな期待を寄せられていたが、それは傑作という言葉さえ空しくなるような作品であった。上映後は観客の誰もが、その安易な賞讃を撥ねのけてしまう映画の峻厳さを前に、文字どおり打ちひしがれたといっていい。<br />
　<br />
　しかし、急いでつけ加えるなら、これはむやみに人を恐怖させるだけの映画ではない。「私の映画を見たことのある人は、そこに流れるブラック・ユーモアをご存じでしょう。この映画は人間の心の暗い側面を描いておりますが、そのなかに軽やかな瞬間が存在しております」。昨年の10月20日、映画の上映を前に登壇したスコリモフスキ監督自身の挨拶の言葉である。『アンナと過ごした４日間』は、仮借なき峻厳さがそのまま大らかなユーモアに転じてしまう瞬間にみちている。黒いサングラスをかけたポーランドの巨匠が、厳かな調子でそのように口にすること。もしかしたら、それ自体がスコリモフスキの諧謔であったのかも知れない。<br />
　<br />
　今年の秋に上映が決定した本作を前に、スコリモフスキ監督が映画の共同脚本家であり妻でもあるエヴァ・ピャスコフスカと再度来日した。「わたしは観客を“誤導（ミスリード）”したいと思っています」と話すスコリモフスキは、この日もサングラスをかけ、厳かな語り口で新作について語ってくれた。ジャズ・ドラマーや詩人としての経歴を持つスコリモフスキ氏は、会見後、自身の描いた画集を贈ってくれた。「ただし頼みがある。漢字で“家路”と書いてほしい」。言われるままに筆ペンを握らされた筆者が、お粗末な書を献呈すると、「これはわたしの名前（イエジー）だね」と微笑んだ。</p>
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		<title>『インスタント沼』三木聡監督インタビュー 「体験できるから面白い」</title>
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		<pubDate>Sun, 23 Aug 2009 06:40:52 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[麻生久美子扮する進化型ヒロインが拳を振り上げて「しょうもない日常を洗い流すのだ！」と叫ぶ新作で、新たなサプライズの数々を観客に見せつけた三木聡監督。テレビ・舞台での長いキャリアを経て、00年代から独自の映画文脈を築いてきた氏を直撃！]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h4>主人公が叫ぶ映画を作りたかった</h4>
<h5>——これまで脱力系と呼ばれていた三木聡監督作品ですが——。</h5>
<p>「別に自分では意識していないし、脱力して作っているわけでもないんですけど、結果そうなっているみたいですね（笑）」</p>
<h5>——ところが今回のヒロインは様々な予想外の出来事に巻き込まれながらも、自力で道を切り開いて行って、ついには扇動者となります。そのがむしゃらな勢いが圧巻でした。これまでの作品の主人公のダメさ加減に共感していた観客や、ユルい空気に馴染んできた観客にとっては驚きだと思います。</h5>
<p>「主人公が叫んだり演説したりして終わる映画が最近ないなと思っていたんです。主人公がぼそっと心情を言うようなテンションの映画が多いじゃないですか。作る側としては、意味のない高揚感の中で終わるような映画——意味があるかないかは受け手の側が決めることだとは思いますが——をやってみたいなと思ったんです。なぜこれまでのダラ〜ッとした映画から、このような大声でガンガン騒いで終わる映画をやりたくなったかというと、今振り返ると自分の中で心情の変化があったからなんでしょうけど、何か大きなきっかけがあったわけではないんですよ」</p>
<h5>——今の世相に対するアジテーションでもあるのですか。</h5>
<p>「いや、撮影したのは去年の７月なので、リーマンショックより前ですし、ガソリンや小麦の値上がりが話題になっていた時期。まさか今のような状況になるとは想像していませんでしたから。今の社会状況と照らし合わせて観た時に、（映画の最後で主人公が）高いところに立って叫んでいる感じがより強く出ているのだとしたら、それは映画にとって幸せなことですね」</p>
<h5>——作品ごとに主人公がどんどん力強く外に向かっていく印象があります。</h5>
<p>「『亀は意外と速く泳ぐ』（05）では主人公は一貫してリアクターでした。西部劇『シェーン』（53）のような構造で、ガンマンがやって来て母と息子に非日常が訪れるけど、ガンマンが去るとまた日常に戻るような。次の『図鑑に載ってない虫』（07）の伊勢谷（友介）君も受け手の役でしたね。ところが『転々』（07）では、オダギリ（ジョー）君は途中までは周りに流される一方のリアクターなんだけど、最終的に自分はリアクターではないんだと気付いて、そこから物語が動き始める。<br />
そして今回の『インスタント沼』では、主人公は自分で（人生を）コントロールしているつもりなんだけど、実はリアクターだったという展開。とは言っても、彼女は切り開いていく力が強いから、しまいには物語もその力に引っ張られていくという構造なんですね。そう考えていくと、僕の映画は大きく変化してますね。『図鑑』の頃から、主人公の設定に関する実験をしてきた気がします。まあ、ずっと同じことをやっていると飽きるというのも大きいんですけど」</p>
<h5>——今回の主人公・沈丁花ハナメを若い女性にした理由は？</h5>
<p>「今回のテーマは沼なんですけど、主人公はジリジリと泥の中に沈んでいきながら、でもなんとか持ちこたえて、なんとかなるさと思っていたら、またロクでもないことに巻き込まれて……というキャラクターで、女性が持っているある種の強さ、まわりを引っ張っていくような力が必要でした。物語の構造としては、王様に命令されてお姫様を救出して帰ってくるとちょっと成長している、というような少年漫画によくある冒険物語のパターンですが、親父に対して突っ込んでいくというギャグの構造も含めて、女性がやったほうが面白いカタルシスが得られると思ったんです」</p>
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		<title>【新作レビュー】とにかくハッピーなお伽噺『ウェディング・ベルを鳴らせ！』</title>
		<link>http://www.eigakanshugi.com/264</link>
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		<pubDate>Sun, 23 Aug 2009 05:28:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>editer</dc:creator>
				<category><![CDATA[封切館]]></category>

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		<description><![CDATA[『ライフ・イズ・ミラクル』以来の新作長編は、かつてないほど無軌道で、シニカルで、底抜けに楽しいクストリッツァ節が唸る唸る！（久保玲子）]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>セルビアの山奥のある村に、おじいさんと孫のツァーネが暮らしておりました。死期を悟り、一人残される孫を案じたおじいさんは、ある日ツァーネに言いました。「町へ行って牛を売り、そのお金で聖ニコラスのイコンを買いなさい。それと自分のためのお土産を買うのも忘れぬように。そして、お嫁さんを連れて帰って来くるのじゃ」と。ツァーネはおじいさんとの約束を果たすため、牛のツヴェトカを連れて町へ出かけてゆきましたとさーー。</p>
<p>『パパは出張中』と『アンダー・グラウンド』で二度のカンヌ映画祭パルムドールを受賞したエミール・クストリッツァの最新作は、日本の昔話に着想を得たという『ウェディング・ベルを鳴らせ！』。潜望鏡や落とし穴などをこしらえる面白発明家であり、宗教心の厚い祖父ジヴォインと、そろそろ性の目覚めにムズムズし始めた孫のツァーネ（前作『ブルー・ジプシー』でクストリッツァに発掘されたウロシュ・ミロヴァノヴィッチ）。そして大地のような官能を振り撒いてジヴォインに結婚を迫る女教師ボサ。『ライフ・イズ・ミラクル』のロケ地だったセルビアののどかな丘陵地帯を気に入り、この地に移り住んだ鬼才は、そこでの純朴な農民たちとの暮らしの中で胸いっぱいに吸い込んだ新鮮な息吹を愛すべきキャラクターに反映させている。</p>
<p>一方、ツァーネがイニシエーションを受ける初めての都会には、高層ビルが立ち並び、マフィアやディペロッパーらが暗躍する過酷な資本主義世界。そんな都会でもツァーネを助けてくれる兄弟が現われる。カウボーイ・ブーツを履いた破天荒な凸凹兄弟は、セルジオ・レオーネを敬愛する鬼才がマカロニ・ウェスタンへのオマージュをこめて描いた道化者キャラだ。兄弟のうち、大入道さながらのトプズを演じるのは、鬼才の息子で「エミール・クストリッツァ＆ノー・スモーキング・オーケストラ」のメンバーでもあるストリボル・クストリッツァ。本作では怪演に加え、サントラも担当して多彩なところを見せている。そしてツァーネが一目惚れの恋に落ちるのが女学生のヤスナ。田舎育ちのツァーネが彼女の気を引こうとプレゼントするのが、花や首飾りではなく、素朴にもパンだったりするのだが、そんな微笑ましい好意を気持ちよく汲み取れる心の持ち主である。そんな緑豊かなツァーネの故郷と呼応する透明感溢れるヤスナを演じる、新人マリヤ・ペトロニェヴィッチの美しさも印象的だ。</p>
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