
『いつか読書する日』(2005 年)は、地方都市で牛乳配達をして暮らす、五十路にさしかかろうかというある女性の物語である。演じるのは田中裕子だ。朝まだ暗い中、牛乳を積んだ自転車を走らせ、坂道を駆け抜け、何十段もの階段を駆け上って牛乳を配達する。そして昼はスーバーでレジ打ちをし、疲れ果てて家に戻り、夜の寝床で本を開き、いつの間にか眠りにつく。主人公は、そんな、毎日変わらぬ自分一人の暮らしを続けて来た。父親が残した壁一面を覆い尽くす本に囲まれて。ところが実は、その女性には、高校時代からずっと思い続けて来た男性がいた。今は市役所に勤め、病気の妻を看病する、こちらも何の変哲もない男である。二人をつなぐのは、彼女が男の家にいつも配達する牛乳、ただそれだけ。男は、いつも決まった時間に届く牛乳を、いつものように取って来ては、飲まずに流しに捨ててしまう。そんな、何も起きるはずのないこの二人の間に、男の、余命限られた寝たきりの妻が、あるさざ波を立てることになる、という物語だ。
この映画に、僕はすっかり惚れ込んだ。東京ではいくつかの劇場に上映を断られ、作られて1年以上も眠らされているということも耳に入っていた。こんな素晴らしい映画が。僕はある意味、義憤に燃えた。俺がこれを大ヒットさせてみせる。そんなことを思って、その日から僕は、半年間、来る日も来る日も、呪文のように『いつか読書する日』『いつか読書する日』と言い続けた。うまい宣伝、いいコピー、素敵なビジュアル、そんなことは考えもしなかった。この映画のよさを、うまく伝えられる方法など、もとより僕に思いつくはずもない。「伝えたい」「けれど伝えられない」「それでも伝えたい」。僕にできるのは、この映画を伝えることではなく、伝えきれなさの前で七転八倒し、もがき苦しむ、そのぶざまな姿を見せることくらいだ。だから呪文なのだ。
地方では、いわゆる単館系の映画をヒットさせるのは、容易なことではない。映画の宣伝は東京で行なわれ、映画の興行力はおおむね東京で決まる。東京でヒットしなければお話にならない。人口からいっても、東京の1%。でも座席数もランニングコストも決して東京の100分の1ではないのだから、動員だけが1%なのだったら、ヒットなんてあり得ようがない。地方という川下で奔流をみるためには、水源地にはとてつもない水があふれ出ていなければどうしようもないのが現実だ。だから僕の「ヒットしてほしい」は、「東京で」につながる。そこで、お手伝いしている香港電影通信の紙面を借りて、田中裕子インタビューを企画した。ただの田舎の映画館の館主が、あの大女優・田中裕子にインタビューする。そんなあり得ないことが実現した。興奮した僕は、インタビューというのにもかかわらず、田中裕子の前でひたすらこの映画を愛していることをしゃべりまくリ、七割は聞き手の僕がしゃべっているという奇妙なことになってしまった。「あなたが演じた大場美奈子が毎日牛乳を黙々と配達するように、僕も毎日、僕の住む町で映画を配達して、間もなく50歳になります(僕と田中裕子は同い年である)」。僕のこんなこじつけが、普通のおばさんを演じたかったという田中裕子の琴線に触れたのか、なぜかこのインタビュー(もどき)は、彼女を大いに喜ばせたようだ。「なにせ大女優ですから写真も原稿もすごくチェックが入るだろうので覚悟しておいてくださいね」と配給会社の人に言われていたにもかかわらず、撮った写真はどれを使うのもOK、原稿は一箇所の訂正さえも入れられなかった。
『いつか読書する日』は、東京では、まだ桜丘町にあった頃のユーロスペースで、その年の7月2日(奇しくも成瀬の命日)に公開され、予想を上回るヒットとなった。それから2週間遅れての僕の劇場での公開の初日に、僕はゲストとしてこの映画の脚本家・青木研次を招いた。本当なら監督をというところだが、僕は監督のいないところでの脚本家の発言というのを聞いてみたかった。そして監督・緒方明を、満を持して1週目の最後の金曜日に、主演の岸部一徳といっしょに呼ぶことにした。田中裕子を呼ぶ? さすがに僕もそんな大それたことは考えもしなかった。しかし。ここで思わぬことが起きる。岸部一徳が、行きたいけれど行けないと言っているというのだ。なぜなら彼は、田中裕子から「大分の館主さんでこの映画をとっても愛してくれているこんな人がいるのよ」と僕のことを聞かされていて、それでそこに招かれたのは自分です、とは田中裕子にとても言えない、と。配給会社は僕に、ここはひとつ、田中裕子に「お呼びしたいのは、やまやまですが」と断りの手紙を書いてほしいと言ってきた。行くとも言っていない人を断る手紙を書くことはできないので、手紙には「来てください」と書くしかない。きっと断ってくるだろうと書いた手紙に、あにはからんや田中裕子のOKの返事が返ってくる。やれ高級車で出迎えしろの、もしかするとメイク代まで請求がくるのと配給会社からさんざん脅され、まるで爆弾でも扱うかのような緊張を強いられて、ついに田中裕子がやって来た。混乱を避けるため田中裕子来館はいっさい伏せたまま、当日、舞台にあがった緒方明監督と岸部一徳に続いて、「実は今日はもう1人、ゲストをお招きしています」と田中裕子を紹介した。満員の観客席からは悲鳴があがった。この瞬間が、僕の映画館人生最高の瞬間だったと言ってよい。こうして僕の劇場は、「田中裕子が来た映画館」になった(ちなみに田中裕子は実にフランクで、気を遣わせるどころか逆に気を遣い、しまいには「お忙しいでしょうからお見送りは結構です」とまで言った)。
さて、こうして公開した『いつか読書する日』は、74席の僕の映画館で1週間におよそ1000人を動員し、3週間、客足は落ちることなく、約 3000人を集客する大ヒットとなった。東京の1%の地方都市で、東京の10%の興行を成し遂げたのだ(1週あたりで言えば30%)。
「思いはきっと伝わる」。そんな子どもじみた甘いことを本気で信じ、それに観客が必ず応えてくれることを疑いもしなかった。今思えば、僕がしたのはただそれだけだ。しかし、そんな「夢みたいなこと」を言っていることこそが、映画という「夢」にうつつを抜かすわれわれの本分ではないのか。
そう。僕が『いつか読書する日』を好きなのは、この映画が、じっと1人の男を思い続け、その思いを遂げる女性の物語だったからに他ならない。
『いつか読書する日』
2004年日本/監督:緒方明/脚本:青木研次/出演:田中裕子、岸部一徳、仁科亜季子、渡辺美佐子、上田耕一、香川照之
http://www.eiga-dokusho.com/シネマ5
小津安二郎が「豆腐屋なんだから豆腐しか作らない」と言ったように、「映画だけを味わい尽くせる場所」をめざして20年。映画と観客の幸福な出会いを、用意はしても邪魔はしない。この映画館に個性があるとすれば、それは観客が作り出してきたものだ。この場所でだれがいつどんな映画をどんなふうに見るのか。それによっていつもちがう表情、輝きを見せる「生き物」、それがシネマ5である。http://cinema5.gr.jp/
田井肇 シネマ5館主
1956年生まれ。1976年に始まった湯布院映画祭の立ち上げに加わり、以後13年間、中心メンバーとして運営に携わるが、1989年、湯布院映画祭を離れ、当時閉館の瀬戸際にあった映画館・シネマ5を借り受け、地方都市では見られなかったアート系の作品を公開する映画館としてその経営を始める。1991年にシネマ5を訪れた侯孝賢監督によって、『珈琲時光』(2003年)で浅野忠信が演じた古本屋の店主の名前に「肇」を使われる。







