~映画批評~

【マイ・フェイバリット・カット】第2回:大久保清朗『サウンド・オブ・ミュージック』

気鋭の作り手・書き手が偏愛する映画の最愛の場面を語り尽くすこのコーナー。『サウンド・オブ・ミュージック』の中でもっとも衝撃的な瞬間は、有名な歌のシーンではなく、とある沈黙の中に出現する!?

文:大久保清朗

2008-11-17 UP

サウンド・オブ・ミュージック マリア(ジュリー・アンドリュース)の寝室に、雷鳴におびえるトラップ家の子供たちが逃げこんでくる。修道院から赴任してきたばかりのこの若い家庭教師は、彼らに優しく語りかける。何でも好きなことを思い浮かべてみて。脚本家アーネスト・レーマンによって「ひとりぼっちの山羊飼い」の代わりに差しかえられた「私のお気に入り」は、名曲ぞろいの『サウンド・オブ・ミュージック』のなかで、マリアがはじめて誰かのために歌う重要なナンバーだ。だがそれだけでなく全編をとおしてもっとも衝撃的瞬間が待ち受けている。

 衝撃的瞬間とは、マリアと子供たちがすっかり打ち解けたとき、父親のトラップ大佐(クリストファー・プラマー)がいきなり現れるところだ。この「いきなり」の凄さ。アンドリュースの動きにあわせて揺れ動いていたカメラが彼を視界にとらえたとたん、つんのめるようにして動きを止める。彼は動くことを知らない。いや、動きを拒む彼の体によって画面から運動が奪われてしまった、というべきなのか。瞬間移動でもしたかのような彼の神出鬼没さは、本作の監督ロバート・ワイズのSF映画『地球の静止する日』の宇宙人に比肩する。あるいは犯罪映画『拳銃の報酬』における、ハリー・ベラフォンテとその娘の乗る回転木馬のかたわらでひっそりと佇み、彼の貴重な安逸を妨げる2人組のギャングのそれを彷彿とさせる。いずれにせよ大佐のかたくなに鎖された心は、プラマーの硬ばった物腰によって印象づけられる。

 だが、真の驚きは歌が止まってしまうことだ。いったいミュージカルでかくも突然に、かくも残酷に歌声が奪われたためしがあっただろうか。MGM黄金期のミュージカル(たとえば『若草の頃』)がそうであるように、歌は「終点までまっしぐら」(「トロリー・ソング」)が鉄則のはずだ。そして、歌は不可能を可能にする。歌さえ口ずさめば、どしゃ降りの雨の夜でさえ虹色のステップを踏めてしまう。まちがっても灰色の現実に引き戻されてしまうなどありえない。マリアが「私のお気に入り」を辛うじて歌い終えるのは、結局、大佐が退室した後のことである。

 だがこの沈黙(というか失声)が鮮やかに転換するときが来る。しばらく屋敷を留守にしていた大佐が、ウィーンから男爵夫人と友人マックスをつれて帰ってくる。カーテンの布地でつくった遊び着を身にまとい、無邪気に遊びまわる子供たちに大佐は激怒する。だがマリアを解雇しようとする彼は、屋敷から聞こえてくる歌声に気づく。男爵夫人とマックスを歓迎するために、彼らがマリアと稽古してきた「サウンド・オブ・ミュージック」。その清冽な調べに聴きいる大佐は、またも子供たちを不意撃ちする。しかしどうだろう。動くこと知らなかった大佐=プラマーの体が、彼らにゆっくりと吸いよせられていくではないか。そのゆったりとした、それだけに揺るぎないその動作が、大佐のなかで何かが息を吹き返したことを静かに告げている。いったん堰きとめられた子供たちの澄んだ声が、プラマーの低音に流れこんでいく。大佐が子供たちと和解し、マリアと恋に落ちることになるのはもはや時間の問題である。

 しかしやがてその大佐自身が失声に陥るときが来る。ザルツブルク音楽祭のクライマックスがそれだ。誇り高きオーストリア人としてナチスへの協力を断固撥ねつけつづける大佐は、ついに海軍基地に強制的に連行されることになる。夜陰に乗じての逃避行もあえなく失敗し窮地に立たされるトラップ一家。だが音楽祭の主催者であるマックスの機転により、一家は出演者として参加し一刻の猶予を得る。しかし音楽祭はナチスの高官たちが特等席を占め、会場は厳重な警備網がしかれている。そのなかで彼は一人で舞台に立つ。歌うのはロジャース&ハマースタインによる最後の曲「エーデルワイス」。彼に射すスポットライトの光芒が、大佐の孤立ぶりをくっきりと浮かび上がらせる。ところどころで垣間見えていたナチスの脅威が、今や暗闇となって画面を覆いつくしている。そのときプラマーの声が思わず嗄(かす)れてしまう。闇の魔手が白い花を握りつぶすように、大佐を絞め殺そうとしているかのようだ。大佐の嗄れ声のうちにオーストリア併合という歴史的事実がこれ以上ない簡潔さで表現しつくされている。

 そのとき、今や伴侶となったマリア=アンドリュースがそっと彼に近づいてくる。扼殺されかかった歌を救いだすために。「我が祖国よ永遠なれ」の合唱が、大きなうねりとなって聴衆全体を呑み込んでいく。そのとき「歌が不可能を可能にする」という、それ自体としては荒唐無稽なミュージカルの掟が、音楽の調べ(サウンド・オブ・ミュージック、ということはこの映画そのもの)を切なる祈りへと変貌させる。その祈りに助けられながら、かつて動くことを知らなかった大佐が一家を率いて越境を果たすフィナーレはもうすぐそこまで来ている。

『サウンド・オブ・ミュージック』

The Sound of Music/1965年アメリカ/監督:ロバート・ワイズ/脚本:アーネスト・レーマン/出演:ジュリー・アンドリュース、クリストファー・プラマー、エリノア・パーカー/20世紀フォックスホームエンターテイメントより1890円で販売