~インタビュー・対談・往復書簡~

アッバス・キアロスタミ、映画館を語る。

イラン国内での作品公開もままならない中で、90年代初頭に世界に発見されて以降、数多くの野心作をおくり出す一方で、各国でワークショップを開催するなど次世代の育成に力を注いでいるアッバス・キアロスタミ。めまぐるしく変わる21世紀の映画に、どんな未来を描いているのか? 少年時代の映画館体験、これからの映画制作・上映のあり方について聞く。

聞き手 | 編集部

2008-11-24 UP

アッバス・キアロスタミ、映画館を語る。

ワークショプで世界を回って

——現在、日本ではシネコンが国内の全スクリーンの約75パーセントを占めていて、アート系の作品が上映される環境は縮小される一方です。世界各地で似たようなことが起こっていると聞きますが、キアロスタミ監督はどのように感じていらっしゃいますか。

原因はハリウッド映画にあると思います。観客の嗜好を悪いほうに変えてしまった。私自身、いろんな国で「あなたの映画は好きだけど、残念ながら劇場公開はできない。宣伝費も出せないんです」と言われます。どこもかしこも状況が似ていて、世界がどんどん狭くなってきている。イランに関して言うと、ハリウッド映画だけでなく、つまらないテレビドラマが増えていて、ますます観客の感性を鈍らせています。さらに、海賊版の問題がある。イランでは海賊版がものすごく安く手に入ります。そして海賊版は10枚ぐらいまとめて売られているから、買う側はタイトルを選べない。もはや映画は数時間をつぶすための娯楽でしかない。インテリ層もそうやって映画を見ています。

私たちインディペンデント映画制作者は、新しい方法で映画を作り、見せていかなければいけないと思います。そうしないと状況はますます悪化するでしょう。

——実際には、どのような試みをされているのでしょう。

暗い話ばかりしてしまいましたが、私は絶望しているわけでは決してなくて、道は必ずあると思っています。ハリウッド映画は、エンタテインメントの世界、人々の価値観を塗り替えてしまったわけですが、結果的には自分の首を絞めることになりました。世界的に観客離れが起こっているし、映像に興味がある人は、ゲームに流れている。ハリウッド映画が下降しているこの状況は、芸術としての映画を作っている私たちには好機だといえます。映画を学ぶ学生や若い監督が、このチャンスをうまく利用して—-といってもビジネス勘定は抜きで—-映画を作り続ければ、明るい未来が開けるのではないでしょうか。

私は今、イラン国内外でワークショップを行っていて、全世界に200人ほどの生徒がいます。それぞれの街に1年のうち10日間ほど行って、学生と一緒に映画を作っています。潤沢な予算があるわけではないので、参加者全員のポケットマネーと力を合わせて、お金のかわりにアイデアで勝負します。「映画は映画であって、ただの娯楽ではない」という考えを強く訴えていかないと何も動かないと思います。

——上映に関してはいかがですか。

革命以降、商業映画を上映する場も少ない中、学生の映画やインディペンデント映画を上映することはとても困難です。とはいえ学生と作っている映画は、小さなホールを借りたりして、必ずお客さんに見せて、意見を聞くようにしています。学生たちはとても熱心ですよ。今回、私が日本の学校で講義をすると言ったら、「日本の学生の意見を聞いてきてください」と言って、飛行場まで自分たちのDVDを持ってきました。

ちなみに作った作品は、フランスのトゥールーズでパッケージ化して保存しています。

天国でも地獄でもない現在、そして未来

——最小限の機材・予算で作った作品といえば、キアロスタミ監督の『10話』(02)という1台の車に据え付けられたDVカメラが運転手と同乗者の会話を捉えていく映画があります。僕も映画学校で、同じような条件で作品を撮ったことがあるのですが、出来上がったものはまったく映画になっていませんでした……。

あなたの作品を見ていないから何とも言えませんが……。ただひとつ確かなのは、40年近く映画を作ってきた私の作品と比べるのはおかしいですよ! 自分の作ったものをダメだと思うのは、自分自身に対する期待が大き過ぎるからでは? 若いうちにDVで撮る作品は宿題のようなもの、習作だと思えばいいんです。将来、素晴らしい映画を撮ることを目標に、今は習作をたくさん撮ればいい。たくさん撮る中で、少しずつ自分の視点を加えていきなさい。もしも他の人の作った映画と比べるのなら、日本の大資本による映画と比べてみてください。そこで相手のほうが優れていると思うなら、あなたの映画には何かが足りないのです。資本がないといい映画を撮れないという考えは無意味です。

——では最後に、これからの映画の展望についてお聞かせください。

現在の映画をめぐる危機的状況は、グローバルな問題です。どこへ行っても文化活動にかけられる予算が減っていて、また文化人ではない人たちが予算に関する決定権を握っています。映画界は、天国でも地獄でもない、中途半端な状況にあります。しかし、どこかひとつの国が良い方に変われば、他の国も変わり始めるでしょう。

映画人は自立しなければいけない。自分で自分を守らなければいけない時代になっています。そして、映画の真価を知っている人たちは既に動き出しています。今は思うように上映や配給ができなくても、次世代の育成に力を入れるなどして、様々なやり方で闘っている。未来は明るい。そういう目で映画界を見ることが大事なのではないでしょうか。

(2008年10月16日東京藝術大学映像研究科馬車道校舎にて)

アッバス・キアロスタミ

ユ-ロスペース「特集上映 キアロスタミ」より転載

1940年6月22日テヘラン生まれ。父親はペンキ屋だった。本人曰く、子供の頃、学校の成績はあまり優秀ではなく、孤独を好んだという。小さい頃から、デッサンに興味を持ち、テヘラン大学美術学部に入学。家族に経済的負担をかけないために18歳で家をでる。自活するために交番で働き、暇があると映画館に行った。好きな映画にイタリアのネオ・レアリスモ映画、小津映画、特にイランのスフラブ・シャヒッド・サレスの『単純な出来事』を挙げている。また当時、ソフィア・ローレンの熱烈なファンでもあった。
60年から68年にかけて多数のCF製作やポスターのグラフィック・デザインなど仕事を手がけると同時に劇映画のクレジット・タイトルのデザインを担当。その中にマスウード・キミヤイー監督の有名な『ゲイサー』(69)のタイトル・バックがある。また、絵本作家としても有名だった。
68年に友人の依頼で、児童青少年知育協会(Institute for the Intellectual Development of Children and Young Adults)に入り、映画製作部を創設し、スタジオも設立する。この協会はその後、イラン映画の質の向上を著しく促進。キアロスタミ作品の他に、バハラム・ベイザイの『バシュー、小さな異邦人』(88)やアミール・ナデリの『駆ける少年』(86)『水、風、砂』(89)といった名作がここから生まれた。残念ながら、94年この協会の映画制作部は活動を停止した。
『友だちのうちはどこ?』(87)『そして人生はつづく』(92)は日本で初めて劇場公開されたイラン映画だったが、キアロスタミ監督の存在、ひいてはイラン映画の質の高さが日本でも広く認知された記念すべき作品となった。続いて『クローズ・アップ』(90)、”ジグザグ道3部作”の最後を飾る『オリーブの林をぬけて』(94)(カンヌ国際映画祭正式出品)を発表。長篇としては3年ぶりの待望の新作となった『桜桃の味』(97)は’97年カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞。それに続く『風が吹くまま』(99)は’99年のヴェネツィア国際映画祭で審査員グランプリを受賞。 
97年12月13日、ユネスコからフェリーニ・メダルを受けた。

キアロスタミ監督が写真家であるのは、知る人ぞ知る事実。イランでは個展を開き、フランスで写真集を出版、パリでは写真展を開くなど活動を開催した。時には1週間もの写真旅行に出て、ひたすら光を待ちつづけるというキアロスタミ。監督自身が厳選した作品で構成される展覧会には、『風が吹くまま』の撮影現場近くの写真も盛込まれ、キアロスタミ監督の写真が直に見られる貴重な機会となった。


Prev 1 2