~映画とカルチャー~

【書評】芝山幹郎『映画一日一本——DVDで楽しむ映画365』

<映画を読む>愉しみを与えてくれる数少ない本物の批評家の一人、芝山幹郎による本書は、一見、ハンディなDVDガイドを装いながらも、一本の映画に潜む<急所>と<気配>を余さずに伝えてくれる。 (高崎俊夫)

文:高崎俊夫(編集者)

2009-02-19 UP

i映画一日一本 今、読んでいて、わくわくさせる、あるいは、すぐさま、その映画を見たいという気を起こさせるような批評はきわめて少ないのではないだろうか。妙にアカデミックで生硬な語彙を駆使する無味乾燥な文章が跋扈しているかと思えば、一方では、ネットで仕入れた瑣末な一夜漬けの知識を自慢げに垂れ流す幼稚な感想文ばかりが、氾濫しているような気がしてならない。

 そんな中で、芝山幹郎氏は<映画を読む>愉しみを与えてくれる数少ない本物の批評の書き手の一人だ。本書は、一見、ハンディなDVDガイドを装いながらも、著者好みの言葉を使うならば、一本の映画に潜む<急所>と<気配>を余さずに伝えてくれる好著である。

 ヒッチコック、ルビッチ、フォード、ホークス、小津、溝口、成瀬、黒澤といった巨匠の名作から、血湧き肉躍るアルドリッチ、ドン・シーゲル、セルジオ・レオーネの活劇、さらに『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ』といったB級の未公開作まで、取り上げられている作品のゴッタ煮のような多彩さ、幅広さにも思わず目を奪われる。

 しかし、一本の映画の魅力を四百字詰め原稿二枚弱で表現するには、際立った文章の芸と付け焼刃ではない映画的教養が必要とされる。

 たとえば、サム・ペキンパーの『砂漠の流れ者』評は、いきなり「荒野とはアメリカ最高の抒情である」という断言から始まる。芝山氏は、かつてデス・ヴァレーで突然雷雨に襲われた時に目撃した、道端に腰をおろした父子が虹を眺めるように稲妻を観賞している光景を回想し、花鳥風月がいかに土地によって異なるかに思いを馳せる。そして「荒野の真ん中で営まれる暮らしの牧歌的な描写がおとぎ話のように美しい」この西部劇には、「<男の哀愁>といった言葉ではくくれない、ふわりとした慈悲と寛容の心が宿っている」と結論づけるのだ。ペキンパーといえば、お題目のごとく<バイオレンスの巨匠>などと唱え、お茶を濁してしまう凡百の映画ライターとは<画面を見る>レベルが違うのである。

 芝山氏はもともと詩人として出発しただけに、こうした手垢のついた紋切り型のフレーズを極度に嫌う。映画から感受した微妙なバイブレーションを自らの内で<言葉>として蒸留されるまでじっくりと時間をかけ、批評言語という完成形として紡ぎだそうとする強い意思が感じられるのだ。

 その結果、時には俳優の魅力を介して、その映画の本質を摑むという力業を見せることもある。その好例が『女は二度生まれる』で、ヒロインの若尾文子に言及しながら、「首から肩にかけての、たおやかでいながら保護を必要とするように心細げな曲線。艶っぽい笑い声と、芯の強そうな泣き声。水銀のようにゆらめくこの肉体を通して、川島雄三は戦後日本の空気を描き出し、そこに棲息する生命を切り抜こうとする」と見事に作品の主題まで探り当てている。

 一般にはコメディの巨匠と思われているビリー・ワイルダーだが、『サンセット大通り』や『深夜の告白』のような傑作を見ると、人間の邪悪な側面を抉るフィルム・ノワールの分野でこそ、その才能は十全に発揮されたのではないだろうか。そんな仮説から、『地獄の英雄』という小品の魅力が解き明かされる。カーク・ダグラス演じるヤクザな新聞記者がニューメキシコの廃坑で起こった事件をセンセーショナルな空騒ぎのイベントに仕立て上げる顛末を描いた、この映画にこそ、ワイルダー特有の辛辣な観察が詰まっているとする指摘には深く共感させられた。

 こんな風に、本書は、一本一本の映画を語りながら、旧来の古色蒼然たる映画史の通念や常識とされる言説にうっちゃりをかけているのが何とも痛快である。どんな作品も角度を変えて眺めてみれば、意想外な貌を垣間見せる瞬間があることを教えてくれる出色のシネマガイドといえよう。

『映画一日一本——DVDで楽しむ見逃し映画365』

芝山幹郎著/朝日新聞社刊