
『西陣』(1961)『石の詩』(1963)など記録映画、『薔薇の葬列』(1969)『ドグラ・マグラ』(1988)など劇映画、また『オートノミー』(1972)『エニグマ』(1978)など実験映画・・・ジャンルを超えて映画・映像を創作し、また大学などで若い世代を育ててきた松本俊夫。彼は20世紀後半のわが国におけるもっとも重要な映画・映像作家のひとりといっても過言ではないが、また同時に優れた理論家・批評家でもある。その松本俊夫の2冊の伝説的な名著の復刻版である。
『映像の発見』は1963年に出版された最初の評論集であり、1958年から63年にかけて書かれた文章を収録し、それに続いて1967年に出版された『表現の世界』は1963年から67年にかけて書かれたものを収めた第二評論集である。前者では当時の映画・映像の状況を踏まえた上での理論的な考察が主に知れるし、後者では映画作家やその作品、あるいは状況に関する批判的な論考を主に読むことができる、といえる。
これらの2冊に凝縮された若き松本俊夫の映画・映像論は、当時の映画青年たちに大きな影響を与え、『映像の発見』は映画の書物としては異例なまで読まれ、刊行から16年で13刷まで重版されている。筆者自身も、1960年代末の政治の季節のなかで、若き松本俊夫の映画・映像論に知的興奮を覚えたひとりである。なかでも『映像の発見』は、ヘーゲルやマルクスあるいはサルトルらの論考を借りながら映画について考えていた筆者にとって衝撃的な出会いだった。
『映像の発見』では、サブタイトルが示すように、まったく異なったジャンルと思われていたアヴァンギャルド映画とドキュメンタリー映画を同一の視点から統合しようとする論旨が主に展開されている。前者は主に個人の内面の隠された世界を漂白してきたジャンルであり、個人の外部に相対する現実にカメラを向けてきたジャンルである後者と対立的にとらえられていた。だが、ここでは、いわば内部と外部、主観と客観、主体と客体、想像と事実、意識と現実など、二項対立的に見られた両者を往還する視点から映画・映像をとらえるという斬新な思考に貫かれている。実際、自分の頭の内部と自分の外側にある世界とは同じ現実にあるし、自分にとってどちらが重要であるかなどとはいえないだろう。そこで、その両者を同時にとらえる視点が不可避になる。そのことを松本俊夫は明快かつ論理的に論じている。
もちろん若き松本俊夫の考えはそう単純ではなく、多彩で複合的である。実際、両者の接点としての「もの」が考察されており、またマルクス主義的な視点から、当時の日本の政治・社会・文化などの状況も分析している。とはいえ、時代という制約を考慮しても、『映像の発見』と『表現の世界』で提示された考えは、今日読んでも今なお新鮮である。その意味で、この2冊は時代や世代を超えてラジカルに刺激し続ける映画・映像論であり、映画・映像を志す若い人たちにとって必読書といえる。
『映像の発見〜アヴァンギャルドとドキュメンタリー』
2100円/清流出版
『表現の世界〜前衛芸術たちとその思想』
2100円/清流出版







