
監督と言うよりもミュージシャンと言った方がふさわしいような、耳の良い映画監督が多くなってきた。というよりも、この時代、たんに記号的にしか音楽を扱えない、音楽感性ゼロの監督はそうとうマズイ事になってきている。若者の反抗がテーマなら、ストーンズやパンク、ちょっと知的にふりたいのなら、アバンギャルドジャズをあてときゃ、いいだろ、的、紋切り型でサントラを片付けようとする監督は、今や最もアウト、でしょう。これだけ、おウチで手軽に映画が見れるようになった時代、映画館の素晴らしい音響システムは、まるでクラブに音楽を浴びに行く感じにも近い。そう、現在、映画における音楽の存在は相当に大きいのだ。
もともと、映画音楽と映像表現は夫婦茶碗のようなもの。見知ったものごとに違うファクターをぶつけ、未知の異様なものに見せる「異化効果」の好例として常に挙げられる、キューブリックの『博士の異常な愛情』の、ヴェラ・リンの甘い歌声が水爆のチェーン爆発に被さっていく、あの、何とも言えない毒とさわやかさのラストシーンが示すように、映画における音楽の選球眼は、監督の才能の発揮どころではある。
私がサントラ達人とあがめ崇める才能は、もうすでにいろいろな人が語りつくしてはいるが、どうみてもウォン・カーウァイ、この人につきるのだ。
彼もまた、タランティーノと同様、すでに人々の記憶の中に収まりがついている既存のポップスを使い、その曲にへばりついているメッセージやその時代の音色、引き起こされる情感をマックスに利用してシーンを完成させることについては抜群の才能をみせる。『欲望の翼』で使ったザビア・クガートをはじめとする40年代のひたすら甘く狂おしいマンボとフィリピンの密林を彷徨する救われない男の魂とのフィット感はもの凄いもので、このアイディア一発で、あの文芸誌が喜びそうな、ありがちのナイーブな青春群像が一種、魔術的な神話的な色彩を帯びてくるのだから凄い。これ、サントラというよりも、逆にザビア・クガートの音楽の一種の解釈表現かと見まがうほどだ。
有名な『恋する惑星』や『天使の涙』の選曲も上手いが、腰を抜かすほど驚いたのが、『ブエノスアイレス』における、フランク・ザッパ使いだった。英語のタイトル名にもなったタートルズのほの暗いヒットチューン「ハッピートゥギャザー」の選び方も上手かったが、まさか、ザッパの「I Have Been In You」を持ってくるとは!







