二本立てDVDでオミルバエフの夢と現に浸る
ヴェネチア、カンヌで注目を集め、NHKが出資した『ザ・ロード』(01)もあるのに日本では紹介も評価もまだまだ充分とはいえないカザフスタン出身の監督ダルジャン・オミルバエフ。昨年の東京フィルメックスで上映された新作『ショーガ』ではトルストイの大作「アンナ・カレーニナ」を原作にしながらミニマリストの底力をみせつけた。
ヒロインの自殺のようにプロット上の決定的な瞬間さえさらりと視界の外に置くオミルバエフの新作は、しんと降る雪のかそけさにも似た静謐と、ぽっかりと明るい寂しさを湛えた詩的時空を差し出して部屋を、無表情の顔を、都市の遠景を、ぽそりぽそりと切りとっていく。そんな一作は釣り糸の浮きが微かに上下する様を少し唐突に捉えて幕を上げる。少年の顔(監督の分身的役割を担う映画青年トレゲン役ジャスラン・アッサオフ自身の少年時代)がそれに続く。意識と無意識、記憶と忘却の境界を思わせる水面。そこでなされるささやかな浮沈の運動が終幕で繰り返されトレゲンの夢の景色であったことが明かされる。水面を上下する浮きの感触と現実と地続きのような夢の肌触りとが結ばれて全編を貫き、ヒロインの恋の物語をやんわりと脇に追いやる真の主題が浮上している。照応。共鳴。夢の余韻。瞬き。明滅。残響然としたもの。そうしたものにこそ縁取られ自身が自身の過去と対峙し続ける人の生の時間――。
圧倒的に簡素な映画は、世界に在ることの美しさを瞬時に伝え、言葉にならない微動の感触こそが筋を超えるスリリングな物語となっていく。それは先の釣竿の少年――幼い日のジャスラン・アッサオフが実名で監督のパーソナルな経験を請け負い主演した長編第二作『カルディオグラム』(95年 第8回東京国際映画祭でも上映)をも手繰り寄せ、オミルバエフの映画をひとつの長い夢として見続ける体験としてみせる。
「愛されすぎて」心臓を病むカザフの子どもジャスランが治療のため父母と離れロシア語しか通じない児童サナトリウムで送る日々。異文化の中で窃視者的位置に置かれる少年は不安と孤独のいっぽうで、憧れの医務室の先生がシャワーに入る様を覗きみるために使えない筈のロシア語を操りガキ大将をけむにまいたりもしてしまう。涼しい眼をして仏頂面を手放さない少年の必死がうっすらとしたユーモアを彼の異郷の日々に添える。そんな少年がうつぶせに眠る姿を印象的に反復する監督は早くも現実と夢の境のなさ、知らん顔した往還をそのスタイルとして選びとっている。あるいはタイトルバックに微かに響く心地よさそうな寝息。『ショーガ』の浮きの感触同様、それが世界を支配する震えとして意識の水面の上下を睨んで研いだ監督の眼差しと興味を鮮やかに指し示す。
かのドグマ95の“貞潔の誓い”と同じ年に放たれた映画は既に3年前の長編デビュー作『KAIRAT』以来、徹底している音源の確かでない音楽は流さないとのルールに則って様式性を究めていく。が、いっぽうでは現実と夢の自在な混濁を解き放ち療養所での少年の窃視者としての位置をついには現実と夢、その相互の間にも敷衍して奇妙な奥行きを生んでいく。ありふれた少年の成長の物語をそうした様式性に掬いとり禁欲的に輝かせる監督の可能性の芽はデビュー作でも確認できる。
大学入試で不正のぬれぎぬを着せられたた青年の浪人時代、苦い初恋をみつめる映画は冒頭、故郷を離れる列車の窓辺にいる主人公を写し出す。彼の視界が車窓の切りとる景色と重なる。そこに走る列車を目で追う少年時代の彼の図が突き合わされる。と、飛び込む礫が窓を割る。あたかも窓辺の青年に少年時代の彼自身が挑みかかるように。過去が現在と向きあうことを要請するかのように――。そうやってあっさりと優雅に自省的空間を映画の構図にしてみせるオミルバエフ。そうしてここにもあるうつぶせの寝姿。夢の浮力と重力の狭間、現実と意識下の往還の時空。繰り返せば長いひとつの夢とみえるオミルバエフの映画たち。日本での連続上映を待望しつつまずは監督の世界の始まりの時を最初期作二本立て輸入dvdで垣間見てみるのはどうだろう。
“Deux films de Darejan Omirbaev Kairat & Kardiogramma”
収録作品:『KAIRAT』(1992/ロカルノ国際映画祭新人賞受賞)
『カルディオグラム』(1995)
メーカー:Doriane Films
英仏字幕つき 150分
メーカーHPの作品紹介ページ(仏語)








