昭和31年生まれの私にとって、最初に魅せられた「動く画」は映画ではなく、テレビであった。生まれたときから家庭にテレビがあるという環境の最初期の世代に、私は属しているのである。
私はたちまちテレビ中毒となった。親は、自分がテレビを見たいからということもあったろうが、その恩恵を子供たちにも与えたいという気持ちもあって当時はまだ高額なテレビ受像機を購入したはずだ。しかし、すぐに「テレビばかり見ないで勉強しろ」と怒りだした。テレビを見る見ないの攻防は、以来18年間、つまり私が高校を卒業するまで続くことになる。おそらく事態はどの家庭にあっても同様だったろう。それは現在でも続く親子の攻防であるに違いない。現に私は、今13歳の一人娘に、かつて私が親から言われたのとまったく同じ言葉をもう7,8年言い続けているし、それでも娘はテレビを見続けている。
小津の『お早う』にも登場する大宅壮一の有名な「一億総白痴化」発言は、テレビ放送が開始されてから4年後、私が生まれてから1年後の1957年にすでになされている。テレビは大人にとって、特に子を持つ親にとって、あっという間にやっかいな代物となったのだ。しかし、何がやっかいだったのか? 大宅発言は、低俗な番組を流すテレビに対する猛烈に批判的な発言だが、しかしテレビが一億を総白痴化するのではないかという当時の良識派を襲ったヒステリックな恐怖は、ほんとうは番組内容の如何とは無関係だったのではないかと今は思う。彼らが恐れたのは、テレビが映像を朝から晩まで切れ目なしに家庭に垂れ流すことだったのではないかと思うのだ。垂れ流しの映像は人から映像の拒否権と選択権を奪い、人は容易に映像中毒に冒されてしまうのだ。なるほどスイッチを切れば映像は消える。チャンネルをセットすれば見たい番組だけを見ることができる。テレビ映像に対する拒否権も選択権も、見る側の手中にあるかのように思える。
しかし、現実は違うのだ。テレビにあっては、番組終了と同時にぴたりとスイッチを切ることも、番組開始と同時にぴたりとスイッチを入れ、ぴたりとチャンネルを合わせることも不可能だからだ。スイッチを入れれば必ずすでに何かが始まっているし、スイッチは必ず何かの途中で切る他ないのである。スイッチを切って家庭からテレビの映像を消滅させるのは、だからとりあえずの行為でしかない。スイッチを入れようが入れまいが、テレビは潜在的、顕在的にだらだらと映像を家庭に送り続けているのだ。だからこそひとは気儘にテレビのスイッチを入れ、気儘にスイッチを切ることができるのだ。ああ、このテレビ映像のだらしなさ! 番組内容が低俗であろうが良質であろうが、このテレビのだらしなさから逃れることはできない。このだらしなさが一億を総白痴化するかしないかは知らないが、青少年にとって非教育的であることは間違いない。昔も今も、親はこのだらしなさに苛立つのだ。しかし今はそれがわかっても、子どもにとっては昔も今もテレビはひたすら面白いのである。
生まれたときからテレビがあったある年代以降の者にとって、テレビの面白さの記憶を抜きにした映像体験を語ることはできないだろう。では、非教育的なだらしなさと引き換えに我々がテレビから学んだことは何だったのか。多くのアメリカ製ドラマ、洋画劇場に流れた多くの短縮版映画、あの場面、あの台詞、あのナレーション、あの音楽。フォード、小津、溝口は当然ながら、ヌーヴェル・ヴァーグさえも同時代的に生きることのできなかった我々は、一体どんなテレビ映像を同時代的に生きたのか。様々な記憶が一気に蘇ろうとしている。その記憶をたどり直してみたいと思う。







