主人公が叫ぶ映画を作りたかった
——これまで脱力系と呼ばれていた三木聡監督作品ですが——。
「別に自分では意識していないし、脱力して作っているわけでもないんですけど、結果そうなっているみたいですね(笑)」
——ところが今回のヒロインは様々な予想外の出来事に巻き込まれながらも、自力で道を切り開いて行って、ついには扇動者となります。そのがむしゃらな勢いが圧巻でした。これまでの作品の主人公のダメさ加減に共感していた観客や、ユルい空気に馴染んできた観客にとっては驚きだと思います。
「主人公が叫んだり演説したりして終わる映画が最近ないなと思っていたんです。主人公がぼそっと心情を言うようなテンションの映画が多いじゃないですか。作る側としては、意味のない高揚感の中で終わるような映画——意味があるかないかは受け手の側が決めることだとは思いますが——をやってみたいなと思ったんです。なぜこれまでのダラ〜ッとした映画から、このような大声でガンガン騒いで終わる映画をやりたくなったかというと、今振り返ると自分の中で心情の変化があったからなんでしょうけど、何か大きなきっかけがあったわけではないんですよ」
——今の世相に対するアジテーションでもあるのですか。
「いや、撮影したのは去年の7月なので、リーマンショックより前ですし、ガソリンや小麦の値上がりが話題になっていた時期。まさか今のような状況になるとは想像していませんでしたから。今の社会状況と照らし合わせて観た時に、(映画の最後で主人公が)高いところに立って叫んでいる感じがより強く出ているのだとしたら、それは映画にとって幸せなことですね」
——作品ごとに主人公がどんどん力強く外に向かっていく印象があります。
「『亀は意外と速く泳ぐ』(05)では主人公は一貫してリアクターでした。西部劇『シェーン』(53)のような構造で、ガンマンがやって来て母と息子に非日常が訪れるけど、ガンマンが去るとまた日常に戻るような。次の『図鑑に載ってない虫』(07)の伊勢谷(友介)君も受け手の役でしたね。ところが『転々』(07)では、オダギリ(ジョー)君は途中までは周りに流される一方のリアクターなんだけど、最終的に自分はリアクターではないんだと気付いて、そこから物語が動き始める。
そして今回の『インスタント沼』では、主人公は自分で(人生を)コントロールしているつもりなんだけど、実はリアクターだったという展開。とは言っても、彼女は切り開いていく力が強いから、しまいには物語もその力に引っ張られていくという構造なんですね。そう考えていくと、僕の映画は大きく変化してますね。『図鑑』の頃から、主人公の設定に関する実験をしてきた気がします。まあ、ずっと同じことをやっていると飽きるというのも大きいんですけど」
——今回の主人公・沈丁花ハナメを若い女性にした理由は?
「今回のテーマは沼なんですけど、主人公はジリジリと泥の中に沈んでいきながら、でもなんとか持ちこたえて、なんとかなるさと思っていたら、またロクでもないことに巻き込まれて……というキャラクターで、女性が持っているある種の強さ、まわりを引っ張っていくような力が必要でした。物語の構造としては、王様に命令されてお姫様を救出して帰ってくるとちょっと成長している、というような少年漫画によくある冒険物語のパターンですが、親父に対して突っ込んでいくというギャグの構造も含めて、女性がやったほうが面白いカタルシスが得られると思ったんです」







