~インタビュー・対談・往復書簡~

『真夏の夜の夢』中江裕司監督インタビュー「映画館がない地域の人にも届けたい」

シェイクスピア劇を沖縄の小島に移し替えた中江裕司の最新作には、なんと全国版と沖縄版の2通りのタイトルがついている。その理由とは? 映画館のない地域で、自ら映画を上映して回っている監督に聞いた。

文:編集部

2009-09-15 UP

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いつの世も人々を祝福し、守ってくれる精霊。でも、人々はその存在を忘れようとしている——。
沖縄を除く全国では『真夏の夜の夢』、沖縄では『さんかく山のマジルー』というタイトルで絶賛公開中の中江裕司監督最新作は、シェイクスピア劇を現代の沖縄の小島に置き換えた祝祭劇。都会での恋に破れて故郷の島に戻ってきたヒロイン・ゆり子は、リゾート開発を企む島民の政略結婚騒動に巻き込まれ……。昔からゆり子を守ってきたキジムン(精霊)のマジルーは、彼女を救い出すことができるのか? 果たして島の未来は?
土地に根ざした映画を作り、土地に根ざした上映活動を続けている中江監督が今、伝えたい、届けたい思いとは。

人間と精霊が当たり前のように共生する場所

——シェイクスピアの『真夏の夜の夢』は、アテネの森で、妖精に惚れ薬を塗られた恋人たちが騒動を繰り広げる話ですが、16世紀に書かれたこの戯曲を現代の沖縄の小島に置き換えるにあたって、どんなところが万国共通、あるいは不変だと思われましたか。

やはり、妖精と人間が共存している様ですね。原作では、それが当たり前のこととして描かれていますが、沖縄でもキジムンを見たことがあるという人はいっぱいいます。
今の世の中って、目に見えないものは存在していないことになっているじゃないですか。僕は、アメリカが悪いと思うんですけど。200年しか歴史のない国が世界を支配しようとするなんておかしいですよ。

——……アメリカ?

アメリカ的なものというと……日本中にある巨大ショッピングセンターがいい例です。沖縄にもいっぱいありますよ。ショッピングセンターができて、個人商店や商店街の中の神社といった、土地にもとからあったものは、すべて非合理的なものとして破壊されました。それ以来、人は大事なことを忘れていったような気がします。いや、別にアメリカが……とか考えながらこの映画を作ったわけじゃないし、アメリカ的なものが出てくるわけでもないんだけど。

——映画では、いかに人々が精霊の存在を忘れているか、そして精霊がいかに人々を守り祝福しているかが描かれていますが、人は精霊が見えていなきゃいけないということでは決してないですよね。

目に見えないとされているものを、「私には見えています」とアピールしたり、「みんなで見よう」というのは、ちょっと違う気がします。自然というのは、目に見えるもの、見えないもの、合理的なもの、非合理的なもので成立していて、どれも不可欠なんです。


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