昨年は、マキノ雅弘監督の生誕百年に当たり、フィルムセンターの大回顧上映をはじめ、全国各地でさまざまな記念イベントが開催された。山根氏の本書も、それに併せて刊行された著作といえる。マキノ雅弘には『映画渡世』(平凡社)という面白さにおいては空前絶後のメモワールがあるが、この傑作自伝を纏めたのが山田宏一氏と山根氏であり、山田氏もやはり生誕百年を祝して『日本俠客伝 マキノ雅弘の世界』(ワイズ出版)を上梓している。つまり、マキノ映画を語るに最もふさわしいふたりの映画批評家の著作が相次いで出揃ったわけだ。
マキノ雅弘。この生涯に260本あまりの映画を撮った<生きる日本映画史>ともいうべき名匠は、時代劇、任俠映画、メロドラマに戦争映画、ミュージカル、コメディと娯楽映画のすべてのジャンルを手がけた。また、俳優を育てる名人であり、山田五十鈴、森繁久彌、高倉健、藤純子etc、マキノ雅弘によって才能を開花させていったスターは枚挙に遑(いとま)がない。
山根氏は、ほとんど<体系>といったものを持たないマキノ映画の無類の面白さ、楽しさを論じることの困難さを充分に自覚しながらも、「マキノ熱の水位が上昇してしまい」、とにかく「マキノ作品の好きなシーンについて、どう面白いのかを語ろう」と決意する。
日本の映画批評家の中で最も感性的な放恣を自らに禁じ、周到に論理を組み立てていく書き手である山根氏が、ここでは、ほとんど無防備までに、画面を描写・再現することに徹し、その無上の喜びを満喫しているかのようだ。その意味で、本書は山根氏の全著作の中で最も幸福感に包まれた書物といえるだろう。
たとえば、マキノ映画で最も印象的なものとして<踊り>がある。戦前の名作『阿波の踊子』のクライマックス、怒濤のような大群衆の阿波踊りのシーンが、いかに異様なまでの感銘を与えるかをめぐって考察がなされ、さらに頻出する<お面>が踊りの場面において、どれほど映画的に活用されているかが臨場感たっぷりに語られる。
さらに、阪東妻三郎主演の『血煙高田馬場』、中村錦之助の『若き日の次郎長』シリーズほか時代劇や任侠ものでトレードマークのように現れる、登場人物たちが「ワッショイ、ワッショイ!」の掛け声とともに一丸となって走り出す祝祭的なイメージのすばらしさへの手放しの称讃が綴られる。
筋金入りの硬派であるはずの山根氏には珍しい「ラブシーン作法」という章もある。ここでは、<マキノ節>といわれる独特の男女の微妙な情愛を描くシーンが、シナリオ、画面、双方から驚くほどの細密さで引用され、列挙されている。
さらに、リメイク考という章は、マキノ雅弘が撮った夥しい数のリメイク作品についての綿密な論考であるが、たとえば、『殺陣師段平』の黒澤明の脚本と出来上がった作品と決定的な相違、そのリメイクである『人生とんぼがえり』との差異が徹底検証される。そして、そこから浮かび上がってくるのは、晩年の愛弟子である澤井信一郎監督が指摘するように、「物語の説明」ではなく、「人間の綾、セリフの綾、芝居の綾」の結晶としての<マキノ節>の魅惑なのである。
最終章では、山根氏が、その<マキノ節の神髄>であると断言する東宝の『次郎長三國志シリーズ』全9部(1952〜54)の圧倒的な面白さがテンポよく縦横に語られている。これほどの紙幅をもって、この名作シリーズが論じられたのは、恐らく初めてではないだろうか。実際、ここでの山根氏の筆致は、あたかも舌なめずりせんばかりの喜悦と躍動感に満ちており、読んでいるそばから、その作品群を見たいという衝迫を抑え難い。
あとがきで触れられているように、山根氏の最初の映画との出会いは、マキノの『よいどれ八萬騎』だった。映画的原点への回帰であることを、さりげなく明かす本書は、やはり幸福な書物なのである。
『マキノ雅弘 映画という祭り』
山根貞男著/新潮選書/1470円(税込)
マキノ映画の、ああ底抜けの面白さ!(帯より)








