峻厳さとユーモアと——
ポーランドのどことも知れぬ村を黙々と歩きつづける男。この冒頭から、『アンナと過ごした4日間』には、すでに為体(えたい)の知れない殺気がたちこめ始める。看護士の女性に思いをはせた一人の男。看護婦寮の向かいにある陋屋(ろうおく)から、男は毎晩のように女の姿を望遠鏡で観察している。そんな男の単調な生活のなかに、彼女と運命的な出会いを果たした記憶が悪夢のように去来する。映画はレオンという孤独な男の行動を、昆虫観察のような冷徹な視点でとらえていく。看護婦寮のそばの街灯を投石で破壊する男。祖母の死後、女の砂糖壜のなかに祖母の睡眠薬を混入する男。深夜、睡眠薬入り砂糖を入れたお茶を飲んだところを見とどけ家を出る男。そして、アンナの部屋に侵入する男。
2008年の東京国際映画祭で『アンナと過ごした4日間』が公開された。すでに公開前から大きな期待を寄せられていたが、それは傑作という言葉さえ空しくなるような作品であった。上映後は観客の誰もが、その安易な賞讃を撥ねのけてしまう映画の峻厳さを前に、文字どおり打ちひしがれたといっていい。
しかし、急いでつけ加えるなら、これはむやみに人を恐怖させるだけの映画ではない。「私の映画を見たことのある人は、そこに流れるブラック・ユーモアをご存じでしょう。この映画は人間の心の暗い側面を描いておりますが、そのなかに軽やかな瞬間が存在しております」。昨年の10月20日、映画の上映を前に登壇したスコリモフスキ監督自身の挨拶の言葉である。『アンナと過ごした4日間』は、仮借なき峻厳さがそのまま大らかなユーモアに転じてしまう瞬間にみちている。黒いサングラスをかけたポーランドの巨匠が、厳かな調子でそのように口にすること。もしかしたら、それ自体がスコリモフスキの諧謔であったのかも知れない。
今年の秋に上映が決定した本作を前に、スコリモフスキ監督が映画の共同脚本家であり妻でもあるエヴァ・ピャスコフスカと再度来日した。「わたしは観客を“誤導(ミスリード)”したいと思っています」と話すスコリモフスキは、この日もサングラスをかけ、厳かな語り口で新作について語ってくれた。ジャズ・ドラマーや詩人としての経歴を持つスコリモフスキ氏は、会見後、自身の描いた画集を贈ってくれた。「ただし頼みがある。漢字で“家路”と書いてほしい」。言われるままに筆ペンを握らされた筆者が、お粗末な書を献呈すると、「これはわたしの名前(イエジー)だね」と微笑んだ。








